こんにちは。
”自分らしさ”をテーマに「働く世代」が輝くすべてをサポートするハーモナイズコーチの眞橋今日子です。
責任感は上位8番目の資質。真面目が服を着て歩いているような(自称)私は、これに気付いたおかげで人生の方向を望ましい方向に転じてきたよう。著書「今を生きるが未来を生きる~自分らしさの見つけ方~」の冒頭でも触れています。ある意味キャリアチェンジの大きなきっかけだったと思います。
子供の頃から思い当たる節が満載。以前はもっと順位が高かったのではないかとさえ感じるほど、あるある話しがたくさんあるひとつがこの「責任感」です。
クリフトンストレングス®のどの資質も等しく素晴らしく、今回は「責任感」の魅力に迫っていきたいと思います。
責任感とはどんな資質か
責任感は、ひとことで言うならば、コミットに命をかける有言実行者。
私自身がごくごく最近まで、やると言ったのに実行しない人にものすごくビックリして(腹が立って)、ことによってはその後の人間関係に響くことも、たぶん両手では足りないくらいにあったように思います。
責任感の人は、正直である、責任を忠実に果たすことをなによりも大切に考えています。
例え自分自身の体力が尽きようが命の危険が迫ろうが、約束したことはきっと命をかけてもやり遂げます。
別名「走れメロス」。
人にも自分自身にも、すべてを投げ打って真摯に向き合う姿は比類なき正しい人として周りの称賛を浴びることでしょう。実行力領域に属してはいますが「人」の存在が大きく関わる資質です。
事の大小に関わらず、約束を完了するまでは決して投げ出したりしません。非常に高い倫理観をベースに、自分自身の果たすべき約束を守るためには、脇目もふらずにまっしぐら。一生懸命に努力をして責任を全うし、周囲からの尊敬を集めます。
そこから得られるものは強い信頼以外のなにものでもないでしょう。鍵を預けるなら間違いなくこの人。
信頼と忠実さで周りに貢献することが信条なのが責任感です。
責任感と約束
頼って安心、任せて安心、必ず応えてくれるのがこの責任感。
とにかくどこでも大活躍で、ほんとうに尊重に値すると思います。
Gallupの説明にはこんな風に書いてあります。
「責任感」の定義
「責任感」の資質が高い人は、一度やると言ったことに対して、心理的に責任意識を持ちます。正直さや忠実さなどの普遍的価値を大切にしています。強力な「責任感」の才能を持つ人は、一度やると言ったことは、事の大きさに関わらず、必ず実行する精神の持ち主で、完了するまでそれをやり遂げなければならないという気持ちになります。彼らは約束を守ります。
人を失望させず、自分の責任をすべて果たし、約束を守るために一生懸命努力します。彼らの誠実さ、物事を正しく行おうとする意欲、非の打ちどころのない倫理観が相まって、「絶対的に信頼できる人」という評判を生み出します。
https://www.gallup.com/cliftonstrengths/ja/253466/%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E6%84%9F-%E8%B3%87%E8%B3%AA.aspx
それ故に責任感は、周りの人のガッカリされたり失望されることは大嫌いです。
これ、どう使えばいいの
正しいやり方へのこだわりが強く、正しくできないのならいっそやるべきではないと考えるのも、この責任感の特徴です。
また、正しいことを行えなかった時には強い罪悪の念を感じ、自分自身を責めてしまう傾向があります。
時として自分の首を絞めるように、自分自身をを苦しめることもあるのです。
責任感の「責」は「責める」を表します。
真正直な生真面目さが外に向かう場合には、責任を全うしない相手を責めることがあります。
「やるって言ったのにやってないよね」「約束したのにできてないじゃない」「期限を決めたのに過ぎてるじゃない」とこんな風に。
言葉に出していないとしても、心のどこかで思っていて、それが人間関係にしこりとなって残ることがあるかもしれません。私自身は実際のしまった体験が多々あります。
ちょっと手厳しい面があるのも責任感だったのだなぁ。
と、自分が当たり前に思う「有言実行であるべき」が反応していたのだということがわかったことは人生においてものすごい収穫でした。
この「○○すべき」が頑な過ぎたなぁという私の自己反省。責任感はわりあいとそのようなこだわりがきつめにあるように思います。
そしてそこが、怒り感情を適切にコントロールするアンガーマネジメントとも関連しやすいと個人的には思っています。
人からは頼られるのだけれど頼るのは苦手でなんでも一人で抱え込みがち。私自身、過去に何度胃潰瘍になったことか。。。
「責任感」のその辺りを上手く生かせていければなぁ、と経験からも強く思います。
責任感が強みになるには
強みとして活かすのに言えることは、その責任感の締め方を緩めること。まずはこれ。
緩めることが却って強みとしての責任感を輝かせてくれるように思います。
私自身のこれまでを振り返ってみても、ぎゅうぎゅうと締め過ぎ。
ネジだってハンドルだって、遊びの部分は必要ですよね。その遊び=緩みがあってこそ、本来の役割を果たすことができるのです。もしもハンドルに1ミリの遊びもなかったらどうなるか、想像してみてください。石ころひとつ踏んづけただけで大事故につながりそうだし、運転している体も頭もはガチガチに凝りまくってしまいそう。これでは大望は果たせません。
人というのは自分の当たり前を相手にも同じように求めるものです。
ほんの少しからでよいので、緩めるチャレンジをしてみることをお勧めします。
責任感の常備薬とも言われる胃薬から解放されていけると思います。
そして、責任を引き受けるかどうかを見定めること。
相手がいるとどうしても助けてあげたくなってしまいがちですが、時間も体力も無限ではありません。本当に引き受けて責任を負えるのか、自分が引き受ける必要があるのか、引き受けることで自分自身をより高めていけるのか、しっかりと見極める必要もきっとあります。
心から頼れる「責任感」。
責任感の方自身が喜びをもって充実しながら頼り甲斐のあるなくてはならない存在でいて欲しいと思います。
もっともっと書きたいのだけれど、少々長くなってきたので今回はこの辺で。
人間関係についてなどもまだまだあるし、またどこかで続きを書きますので是非のぞきにきてください。